
神明社の鬼祭は、日本の国のはじめの神話を田楽にとり入れて、祭の神事とし
たものと言われている。高天原の大神様のところへ、暴ぶる神が現れて、いたず
らをするので、武神がこらしめようとして、両神秘術を尽して戦い、遂に和解し
て、一同喜んで神楽の舞をしたのである。赤鬼は暴ぶる神を表わし、天狗は武神
を表わし、神社創立当時から安久美神戸の農民によって、年々農作物の豊作を祈
るために行われたと言い伝えられる。
まず高天原では、神々が高津神の災、諸々の悪魔を追払うために、黒木の弓で
十二本の矢を射る。これは一年十二ヶ月の災を除く神事で今の御的の神事である。
次に、大神様が穀物の種子を田畑に蒔かしめ農耕をすすめられ、また侍女に機
を織らしめになった。暴ぶる神が度々御殿へ暴れこんで、貯蔵してある穀物をま
きちらし悪戯をするので、大神様が大変お困りになっておられるのを、武神が見
かねて、武器を手ごろの木の枝に結び付け、これをたずさえて、男女の神々と御
殿に隠れ、待ち受けているところへ、いつものように暴ぶる神が二又の大きな木
を振りかざして暴れこんできた。そこで木をたたいて合図をする。この合図が今
の呼太鼓である。
それを聞いて神々が現われて暴ぶる神と武神の戦いとなるのであって、現在こ
れを赤鬼と天狗の「からかい」と称している。前記の武神の持っている武器は、
現在薙刀に替わり二又の木は鬼の撞木となっている。
暴ぶる神は再三挑戦したが、大神様の御恵み深い御徳を身につけられた武神に
はかなわず、この非を悟って、持っていた白粉餅(これは米を今の石臼のような
形の石で粉にして水でねり乾かして作った食物)や、穀物の粉で、自分の罪穢を
祓い清め、また里人に対して犯した罪悪の償いをせられた。これがタンキリ飴の
由来であって、これを食べると厄除けとなり、夏病みをしないといわれている。
そこで双方の和解ができたので一同喜び、武神が先頭に立ち、続いて足や腰を
打たれて傷ついた二神、これを現在司天師と呼んでいる。
この二神を始め、六人の侍女(現在の笹良児)を従えて大神の御前に出て、最
初武神が武器で祓いを行ない、次いで二神と六人の侍女が持っている楽器や拍板
を打って音調べを行なう。後世その音を表現してポンテンザラの田楽という。
まず男神の司天師が安静になった事を喜んで、傷ついた足を引きながら新薦の
上を八足とんで八方何処へ行っても安全で危害を受けることなく平穏であるとい
うことを現わす。
次に武神の天狗が立ち上がって、鈴と手麻を持って神々の神歌に合わせて神楽
を舞う。次に男神の司天師がびっこを引きながら一人ずつ面白く舞をする。次に
侍女らも鈴と手麻や拍板を振りながら笛と太鼓の神楽に合わせて舞をする。
そこで暴ぶる神は不用になった二又の木を高く投げる。これを和の木と称し、
国中が明るくなったのは大神様の御徳であるから、その御徳を授かりたいと国津
神等がこに木を切って引き合い福徳を手に入れようとした。後世これが、その年
の天候を占う御玉引の神事となった。
この暴ぶる神は察するに素盞鳴命で、赤鬼の姿で表わされ、武神は天狗の姿で
表わされ、猿田彦命とも言われる。このでき事の成り行きを案じ、傍で終始一人
の国津神が見守っており、最後に和の木の引き合いに立ち合ったのが黒鬼である。
鬼祭しおりより転載。